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釧路国(くしろのくに)は、明治維新のころに置かれた

釧路国(くしろのくに)は、明治維新のころに置かれた日本の地方区分の国の一つである。北海道に含まれる。道東に位置し、領域は現在の釧路支庁および十勝支庁管内にある足寄郡の大半(足寄町のうち合併前の旧足寄村にあたる利別川以東及び陸別町)にあたるが、設置当初は現在の網走支庁大空町、美幌町、津別町にあたる地域も含んでいた。

江戸時代、釧路国域には松前藩によってクスリ場所とアッケシ場所が開かれ、松前藩家臣の知行地とされた。また、釧路と厚岸には北前船が寄航することもあった。後の厚岸郡はアッケシ場所に相当し、それ以外の地域は現在の釧路市を中心とするクスリ場所に相当する。

江戸時代初期の寛文9年6月、日高国域を中心に蝦夷(アイヌ)が武装蜂起したシャクシャインの乱がおこり、釧路国域でも多くの和人が殺害された。元禄14年になると、アッケシ場所から分離しキイタップ場所(現浜中町)が開かれている(後にアッケシ場所に再統合)。

江戸時代中期の寛延4年には釧路郡域内(後の釧路市城山)に蝦夷によってモシリヤチャシが築造されている。

江戸時代後期、釧路国域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年東蝦夷地は天領(幕府直轄地)とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が厚岸に出張陣屋を築き警固を担当した。開国後、現在の白糠町に相当する地域では釧路炭田の開発が開始されている。

その他、釧路国域では摩周温泉と雌阿寒温泉が古くから知られていたようである。

明治2年(1869年)8月15日に釧路国が置かれる。
明治14年(1881年)7月に、網尻郡を北見国網走郡に移管・合併させた。
明治15年(1882年)2月8日、廃使置県にともない根室県の所管となる。
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寺院・神社 [編集]
寺院は、蝦夷三官寺の一つとして文化元年(1804年)に建立された国泰寺が厚岸郡厚岸町にある。

神社は、最上徳内によって建立された神明社を起源とする厚岸神社や釧路郡の厳島神社は寛政年間の創建、白糠郡の厳島神社は文化年間の創建、厚岸真龍神社は安政4年の創建である。

白糠郡 厳島神社(白糠郡白糠町)
釧路郡 厳島神社(釧路市)
厚岸郡 神明社  (現厚岸神社、厚岸郡厚岸町)
厚岸郡 厚岸真龍神社  (厚岸郡厚岸町)
厳島神社(釧路郡)の旧社格は県社であった。

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2009年06月05日 09:45に投稿されたエントリーのページです。

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