里山の利用法
里山は様々な形で利用されてきた。単に木材の供給源としてだけでなく、落ち葉や下生えは田畑の肥料に利用されていた。また農作業の合間に里山に入って薪やキノコを得ることは、近世の農民にとって現金収入を得る最も簡便な方法であった。緊急時の木材・現金供給源を兼ねた水源涵養林として意図的に森林の伐採を行わない里山もあった。
珍しい里山の利用法としては、製塩の為の燃料の供給源というものもある。こうした里山は塩木山と呼ばれた。製塩は大量の燃料を必要とする(年間通して操業する場合、塩田の面積の75倍の広さの森林を全て燃料として1年で消費しなければならない)為、製塩業にとって塩木山の確保は死活問題であった。記録では8世紀後半から東大寺や西大寺などの大寺院の荘園として塩木山が存在していることが知られている。近世になると製塩業向けの燃料としての薪販売は、特に山陽地方において盛んとなった。このようなケースでは、薪を生産するのは河川によって塩田と結ばれた山間地の村であった。つまり山間地の村の住人が里山の木を薪に加工し、商品として銀と引き替えに売り渡すのであって、里山が村内の自給自足経済の為にのみ利用されていたのではない事の好例である。こうした製塩業向けの燃料供給は石炭が一般化する19世紀初頭まで続いたが、森林再生速度を超えた伐採の為に森林資源が逼迫し、争いになることもあった。製塩業の他にも踏鞴製鉄用の燃料や陶磁器焼成の為の燃料として、里山の木は大量に消費された。
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また特殊な里山の利用法に「草山」がある。これはある山の樹木を意図的に皆伐し、山全体を草のみで覆ったものである。近世の水田耕作では枯れ草が重要な肥料であった為、村に必要な枯れ草を賄う為に草山が設定され、樹木を生やさないように管理されていた。ある特定の水田に専用の小規模な草山を設定することもあり、これは「田付草山」と呼ばれた。
以上のような里山の利用法の他、内山節によると、困窮した家が数年間、里山に籠もって自給自足の生活を行い、現金支出を徹底的に抑えて家計を立て直すという行動が昭和以前に見られたという(群馬県上野村の事例とされる)。